「自由」の境界線
フランスの週刊シャルリ襲撃事件…
さらに犠牲者が増え、いたましい限りでございます。
全ての亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
昨日のブログに付け加えて…
「言論の自由」の「自由」ですが
「自由」は、厳密な意味では集団の社会には存在しないと思います。
社会で生きる限り、絶対に、他人との境界線は出来ます。
いわゆる自由というものは、
その境界線の中での自由とも言えましょう。
その境界線を作る様々な要素の一つに価値観も含まれます。
Aは、自分の価値観に従って、Bという境界線の中で「自由」に
行動していると思っているかもしれませんが
それはCにとっては、自分の境界線Dを侵害するものかもしれません。
そして、その境界線を巡って、葛藤が起きます。
この葛藤が、外交的に処理されるのが望ましいものの
そこで戦争が起きる可能性も、ございます。
今、そこで、戦争が始まったのかと
既に始まっていたのかも…と、
身近な問題として震撼いたします。
銃殺されたKouachi容疑者兄弟が、印刷工場に籠城する前
「civilians ( 一般人・非戦闘員 )は殺さない」と、言い
もともと兄弟を警察だと誤解していた
その一般人が、その言葉を不審に思い通報したのでございます。
今、テレビで、殺害されたイスラム教徒の
Ahmed Merabet警官の遺族が記者会見を放送しております。
画像、上段は、警官の遺族の記者会見
中段下段右はChérif Kouachi容疑者
今、France24 アプリを開くと、まず、中段左の
「Je suis Charlie 」画面になります。
下段左は「Je ne suis pas Charlie ( 我シャルリに非ず ) 」と
世界に広がる「Je suis Charlie 」という動きに
疑問を投げかける意見の報道